発達障害のキソ知識〜ADHD編③〜
- サポート教室かたつむり
- 2022年1月24日
- 読了時間: 3分

「発達障害」
よく耳にするけれど、何となくしかわからない・・・
という方もいらっしゃるのではないでしょうか?
知っているようで知らない?身近な障害「発達障害」について、一緒に学んでみませんか?

「発達障害」とは、生まれつき脳のはたらき方が通常と違うために、幼少時から特異な行動や特徴が見られる状態のことです。
主に
・ASD(自閉スペクトラム症)
・ADHD(注意欠如多動症)
・SLD(限局性学習症)
の3つを指すことが多いですが、他にも、
・DCD(発達性協調運動障害)
・チック障害
を含むこともあります。
今回は、これらのうち、ADHD(注意欠如多動症)について紹介していきます!
*今までの投稿まとめ*
<概要>
ADHD(注意欠如多動症)とは、生まれつきの脳の機能障害で、発達障害の一つです。発症の原因はまだわかっていませんが、遺伝や環境など、多数の要因が複雑に絡み合って発症すると考えられています。
<症状>
ADHDは、「多動性」「衝動性」「不注意」などの症状を見せます。年齢が幼いうちは「多動性」「衝動性」の症状が目立ちますが、年齢が上がるとともに「多動性」「衝動性」の症状は目立たなくなり、相対的に「不注意」の症状が目立つことが多くみられます。
今回は、ADHDの歴史についてご紹介します!
ADHDの症状を見せる人は、いつからいたのでしょうか?
・・・答えは、なんと、2500年も前!古代ギリシャの時代に、医師ヒポクラテスがADHDの症状を見せる人たちについて触れていました。「長い間1つのことに集中することができず、周囲で起きた事柄に素早く反応する人たち」に対して、ヒポクラテスは運動や食事などの療法を勧めたようです。
19世紀頃になると、さまざまな医師たちが、ADHDと思われる症状について報告し始めました。きちんとした診断基準ができるまで、ADHDは、「道徳的なコントロールの欠如」「注意の問題」「神経質」「精神不安定」「異常な興奮性」「微細な脳損傷」などと表現されてきました。
ADHDが、精神的な障害の1つであると認識されたのは、1968年に発行された「DSM第2版」においてのことです。このときはまだADHDという名前でなく、「小児期の多動」と表現されており、青年期までに軽減するものと考えられていました。
*DSMとは、アメリカ精神医学会が示している「精神障害の診断および統計マニュアル」のことで、その時に認識されている精神障害がすべて記載されています。
その後、1980年に発行された「DSM第3版」では、「注意欠陥障害(ADD)」という名前が使われました。このときは、多動性は一般的な症状ではなく、多動性のあるADDと多動性のないADDがあると考えられていました。
1987年の「DSM第3版(改訂版)」では、注意力欠如、多動性、衝動性の3つの症状を含めて「ADHD」という名称が使われるようになりました。そして、2000年の「DSM第4版(改訂版)」ではADHDを「不注意優勢型」「多動性・衝動性優勢型」「混合型」の3つのタイプで捉えるようになり、現在の「DSM第5版」につながるのです。
また、このADHDの歴史は、ADHD治療薬の歴史でもあります。ADHD治療薬については、また別の機会にご紹介しますね!
いかがでしたか?
ADHDはまだまだわからないことも多い障害。これからも研究が進むことで、また新たな側面が見えてくるかもしれませんね!
次回は「ADHDかもと思ったら?」について解説していきます。
ぜひ、ご覧くださいね!
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